ジャンル不問萌え語り&日常/女性向け同人要素過多・要注意
2006/12/15 (Fri) 17:21
昨夜は友人とファミコン話で盛り上がり、私が最近「迷宮組曲」をプレイしていることを云うと、「私は未だにかなり本気でシムシティをやっている」と暴露してきた。シムシティ…!懐かしさに思わず笑ってしまった。しかも本気って何なんだ。本気ではない場合はどの程度なのかがまず判らない。「本気じゃないときは、災害を出しまくって街を片っ端から壊すのよ」なる程…。いや、それもある意味本気の所業だと思うのだが。
話を聞いているうちにやりたくなってしまい、またもやスーファミを引っ張り出した。いざ電源を入れてみると、グラフィックの余りのチャチさに早速爆笑。とりあえず510の島を選びGODOTの名前をつけてスタートしたまでは良かったものの、やり方をすっかり忘れているせいか丸で発展しない。さて、どうやるんだったかと練習モードに切り替えたら、3連続で目標達成ならず敗訴。何だこの遣る瀬無いほどの敗北感は。4回目でやっとコツを思い出し、練習モードをクリアしたところで少し力尽きて、懐かしゲームオンパレードと行こうと思い立ち、マリオワールド・マリオオールスター・マリオカート、とスーパーマリオシリーズを序盤だけざっとやってみる。いや然し昔のゲームは本当に難しいな。スーファミは操作性やゲーム性が上がっているものが多いから初期ファミコンよりは全然いいが。何よりスーファミは今プレイしても面白いゲームが大量にあるなぁと妙にしみじみした。私が所持しているソフトもたぶん、スーファミが一番多いと思う。その中でも思い出深いのが、このシムシティとゼルダとかまいたちの夜、だろうか。かまいたちはPSでもプレイしたけれど、チャートの選択幅が大きい分スーファミのほうが難易度が高いよね。 それにしても…最近このブログ、昨夜の覚書&ただのゲーム日記と化しているな。まぁいいか。 然し、時間の遣い方に例え差異がなくとも、二次とはいえ執筆している時とゲームしている時では、ゲームしている時のほうが遥かに駄目人間ぶり加減が大きく感じるのは何故だろう。同じ引き篭もりでも、ゲームだけして過ごしてしまった時のほうが駄目レベルが上がる気がする。これは生産性の問題だろうか。文章ならば発表した時点でどんなにヘタレでも結果と形と達成感が残るけれど、ゲームの場合は完全に個人の独立世界でのみの達成感しか残らないからかもしれない。 と、ちょっと考察的なふりをしてみたけれど、結局は単なるゲーム日記なのだった。実はここ一週間ほど小説も読んでいない。漫画は読んだ。ちなみに迷宮組曲は現在二周目。二周目のボス強過ぎ。 PR この記事にコメントする
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